3/9 早朝ラン。中庸
今朝は久しぶりに早朝ラン。家の前の小川の土手がよいランニングコースである。朝はウォーキングや犬の散歩の人がちらほらいる。朝に走るコースは3パターンくらいあり、その中の一つで距離にして4.6キロ。平均ペースは5分25秒だった。土手なのでダートコース。
往路を走っていると右手の畑の向こうに濃いピンク色の花が鮮やかに咲いている大きな木があった。早咲き桜であろう。梅の花にも見えなくはないのだが、梅の満開は既に過ぎて散り終えるころだからきっと違う。うん、あの花の密度は桜だ。花は集まってすそ野の広い山の輪郭を描き、華々しいピンクであるがケバクなく可憐。
年であるから息をゼーゼーさせてまで走らないようにしているのだが、今日はその手前まで頑張ってしまった。寒い朝は去り、水ぬるむ春の空気の中に気持ちが軽くなってしまい、身体も反応したというところだ。距離も長くはない。それでも昨年、走り込んでいた時期に比べると平均ペースは10秒ほど遅い。
若いうちは息を上げてヒーヒー言って走り、続かなくてペースを落とすと頑張りが足りないとなる。およそ身体能力を上げるにはその限界に近いところでふんばらないとだめだ。それを常にやっていても若さはどおってことなく、そのうち自然に伸びていく。成長過程のある時の限界は単なる通過点であるが、年をとるとそうはいかない。限界は限界であり、その近くに行くとかえって危険な目に会う。数年前、空手のハードな稽古も入れて朝から汗をかき通しだった時に一過性脳虚血発作になり、数分間右半身不随で倒れていたことがあった。救急車が来た頃には回復していたが一週間の入院となった。倒れるまで頑張って初めて伸びる実感があったのは若い頃であり、今はそれだけ頑張ると本当に倒れて戻ってこれなくなる。中庸なる価値も、若い頃には「なんだそれ?」「あーちょうどいいくらいということ?面白くねえなぁ」だったし、それでこそ若さなんだが今は中庸をよく分かる。
若さというのは年齢ではなく豊かな感受性だ、とどこかに記してある。感受性グラフを時間の軸に沿って直線的に減じていくか、それとも台形を少し右下がりにしたグラフの片側のようにするか、いずれにしても最後はゼロとなり、それは死の時だわな。感受性だけでなく身体能力も同じだ。なるべく台形にするに努めることにした方がよいのだろうな。中庸をいつ頃よしと感じてよいのやら。
往路を走っていると右手の畑の向こうに濃いピンク色の花が鮮やかに咲いている大きな木があった。早咲き桜であろう。梅の花にも見えなくはないのだが、梅の満開は既に過ぎて散り終えるころだからきっと違う。うん、あの花の密度は桜だ。花は集まってすそ野の広い山の輪郭を描き、華々しいピンクであるがケバクなく可憐。
年であるから息をゼーゼーさせてまで走らないようにしているのだが、今日はその手前まで頑張ってしまった。寒い朝は去り、水ぬるむ春の空気の中に気持ちが軽くなってしまい、身体も反応したというところだ。距離も長くはない。それでも昨年、走り込んでいた時期に比べると平均ペースは10秒ほど遅い。
若いうちは息を上げてヒーヒー言って走り、続かなくてペースを落とすと頑張りが足りないとなる。およそ身体能力を上げるにはその限界に近いところでふんばらないとだめだ。それを常にやっていても若さはどおってことなく、そのうち自然に伸びていく。成長過程のある時の限界は単なる通過点であるが、年をとるとそうはいかない。限界は限界であり、その近くに行くとかえって危険な目に会う。数年前、空手のハードな稽古も入れて朝から汗をかき通しだった時に一過性脳虚血発作になり、数分間右半身不随で倒れていたことがあった。救急車が来た頃には回復していたが一週間の入院となった。倒れるまで頑張って初めて伸びる実感があったのは若い頃であり、今はそれだけ頑張ると本当に倒れて戻ってこれなくなる。中庸なる価値も、若い頃には「なんだそれ?」「あーちょうどいいくらいということ?面白くねえなぁ」だったし、それでこそ若さなんだが今は中庸をよく分かる。
若さというのは年齢ではなく豊かな感受性だ、とどこかに記してある。感受性グラフを時間の軸に沿って直線的に減じていくか、それとも台形を少し右下がりにしたグラフの片側のようにするか、いずれにしても最後はゼロとなり、それは死の時だわな。感受性だけでなく身体能力も同じだ。なるべく台形にするに努めることにした方がよいのだろうな。中庸をいつ頃よしと感じてよいのやら。
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