3/5 10キロ走。身体感覚と自動車

 3月5日土曜日。 10キロ走る。平均ペースは5分38秒。前半それなりのペースで走っているかと思いきや、5分55秒。これはちょっと遅すぎるとして後半に気合を入れてペースを上げた。結果、まあまあ最近のペースとなった。ここ1か月程は土曜日やけに疲れていて、つまり週日の仕事が忙しく、走らずに過ごした。日曜日になると疲れがどうやら取れるようで20キロ走っていた。1週間に1度しか走っていないことになり、ペースも上がらずたいてい6分弱。今日は久しぶりに10キロコースなのでちょっとは速い。明日は15キロ以上は走ろう。二日続けるのはかなり久しぶりだ。


 走りながら色々考え事をしようと思っていた。単に走るというのも時間の無駄使いと考えてしまうような、時間効率重視のサラリーマン気質になっているのでどうにも仕様がない。前半のゆっくりペースでは何やら考えていたようだが・・・、きれいに忘れてしまった。後半にペースを上げると息の上がり具合と脚の疲労度と残り距離くらいしか考えなくなった。息は上がる前の状態をキープで、脚は振り子のように動かし走りながらでも疲れが取れるように脱力する、という風に身体の状態をチェックし、残りどれくらいを常に意識していた。


 身体感覚、もっと言えば皮膚感覚が大事だと若い時に突然思い、夏にリュック背負って北海道野宿旅行に行ったことがある。河原の茂みの下に寝た時の何とも心細かったことよ。寝袋の下は小石で固かったし、上の茂みは風に揺れて時折ゴソゴソと鳴る。30年経った今でも体が覚えている。まさに身体感覚だ。


 技術の進歩はヒトから身体感覚を無くしていく。それは一面でまったく正しい。昔の家事労働はもう大変だったろう。朝は早くから火を起こしてコメを炊き、洗濯は川辺にて洗濯板でごしごしする。掃除は箒と雑巾。箒はまだマシであろうが雑巾は屈んで膝もついて力を入れ床を拭かなければならない。そのような身体感覚満載の重い労働から家電製品は見事に解放した。今やロボット掃除機だ。無人戦闘機の戦いは最たるものである。遠いアメリカにいて飛行機から送られてくる画像やセンシング情報にて操縦し、敵を見つけて攻撃する。TVゲームの世界だ。


 さて巨大産業である自動車を考えてみる。走りを楽しむというのは身体感覚である。Gも感じるしスリルも生身で感じ、場合によっては事故で怪我もする。現在自動運転の研究が盛んであり、Google社は既に200万キロの走行実績を持っている。車の第一義の目的は移動の手段であることだ。その目的に沿ってもいる自動運転の世界がいずれ訪れることは間違いがない。運転する楽しみは二義的なものだからどうでもよく、いずれ一部の好事家と言われかねない人々のみのものとなる。現在の自動車会社社員の多くは車が好きで運転するのが好きで入ってきた人々であろう。そのような人々の代表に経営される自動車会社が、GoogleのようなIT会社の軍門に下るのはそう遠い先の話ではないかもしれない。彼らは時代の流れに気が付いていても身体感覚として車が好きであるから、自動運転を研究課題の一つとしか見られない。ところが未来は自動運転が全てになると言ってよいと思う。自動運転車の間で小刻みにヒトがアクセルコントロールしたりハンドル操作するのは、そうしたければすればよいのだが、馬鹿げた空しい作業になる。


 自動運転はカメラからとる画像の処理、センシング技術、ナビや道路の情報とそれらを総合的に判断する人工知能技術が必要だ。Googleはその全てを既に持っているから自動運転車を公道に走らせ200万時間無事故でいたし、人工知能研究にいたっては最先端研究をさらに進めている。


 日本の家電業界は衰退して韓国・中国に替わられた。自動車は自動運転の器となり、その核技術は人工知能技術を基にした新しいOS開発であるが、再び米国のIT業界に替わられることになる。日本のIT産業に全くイノベーションがないのも情けない。自動車産業はIT産業にもなるべしということをマトモに認識しなければ危ないと思うわけだ。


 泣こうが喚こうが技術の発達はヒトの身体感覚を減ずる。生活を楽にすることは間違いない。だが豊かにするかどうかは人それぞれだろう。身体感覚のない営みは感情を薄くしてしまう。
 

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