3/6 15キロ。学生時代の空手
今日は15キロ走った。平均ペースは5分49秒/K。最初は20キロを目指していたが、10キロ手前の分岐路で根性なく川辺のサイクリングロードから外れた。1年程前の走りこんでいた時には前半10キロのペースを抑えるのに気を付けるくらいであったが、今はそれ程速いペースでないのにかかわらず既に結構疲れていた。橋を横切り八幡神社まで走り、そこで小休止。この後は17キロコースも選択できるのだが、そこまで足を延ばす気も起きず、右に折れて家のゴールを目指した。昨日10キロ走ったせいでもあろうが脚は疲れていた。15キロで十分としよう。
走りながら思い出していたことは空手に明け暮れた学生時代のこと。もう40年近く前のことになったのが驚きだ。わが青春は遥か昔になってしまったが、情景と共にくっきりと思い出せることが多い。
18歳、空手道部に入部して、人相が変わるほどやつれたと下宿のおばさんにまじまじと見られて言われたことがあった。確かに18年間で最も肉体的に消耗した新歓合宿だった。
夏合宿では辛い練習を共に耐えてきた同輩と組み手をやり始めた。お互いに恐れながらの初めての格闘だ。俺の目に怯えがはしっていただろうが、相手の目に浮かんでいることも確かに感じた。同輩の一人は合宿最後の組手稽古の時に鼻の骨を折られた。寸止め空手と言ったってよく当たる。もう一人は脛の細い方の骨を骨折した。俺が組手稽古をやり始めて思っていたことは、やらねばやられるということ。たとえ苦楽を共にした仲間といえども闘いの場にいる限りは。同輩たちも同じであったろう。およそケンカなぞしたことがなさそうな仲間達であった。俺は実は高校時代に1回だけある。当時の空手道部に入るのは腕っぷしが強い者ではない。強くなりたいと願う者が入った。
2回生から3回生の頃、同輩達と多い時には1週間に2回、練習後に寿司屋に通い飲んで語り合う習慣ができた。なんのことはない、その寿司屋の看板娘が大変チャーミングであると皆、思っていたからだ。寿司といっても注文するのは、イカ・タコ・マグロの当時の100円メニューばかり。看板娘が運んできてくれるのを一人一人心密かに待ちながらも、我々は空手談議に熱中もしていた。その看板娘は大学の、ある先輩と結婚したと後日人のうわさに聞いた。
4回生の春の個人選手権は最も重視していた大会だった。1,2週間前から寝る前に目をつむったままで闘いのイメージトレーニングを行っていた。寝ながら仮想のパンチを受けて体がビクっと動いたこともある。俺は非常に朝が弱いのであるが、試合当日は目覚ましの鳴る前に目が覚めた。不思議にもまったくすっきりぱっちりと。試合場に着いて集合までの間に近くの喫茶店でモーニングサービスを食べていたのを思い出す。やけに落ち着いてと言うか一種朦朧としてと言った方がよいかもしれない。心は朝飯と試合の半々の上に浮かんでいたのである。試合は、幸い勝ち進みベスト4まで行った。ベスト8を勝ち上がって思わずよくやったと天井を見上げてしまった。だからそこまでだ。チャンピオンになるにはチャンピオンのみを目指さなければならない。
感受性の豊かな若い時代。空手をやっているうちに大学が終わった。勉強はしないので単位をよく落とした。卒業しても3,4年は卒業できない悪夢を見ていた。
空手の方は卒業しても通算10年くらい続けた。今は一休みで、一ジョガーとして走るのみだ。空手が俺の人格に大きく影響したのは確かである。どういう意味を持ったのか、これからまたどう作用するのか、定年後にでもゆっくりと考えて、また始めることかな。
走りながら思い出していたことは空手に明け暮れた学生時代のこと。もう40年近く前のことになったのが驚きだ。わが青春は遥か昔になってしまったが、情景と共にくっきりと思い出せることが多い。
18歳、空手道部に入部して、人相が変わるほどやつれたと下宿のおばさんにまじまじと見られて言われたことがあった。確かに18年間で最も肉体的に消耗した新歓合宿だった。
夏合宿では辛い練習を共に耐えてきた同輩と組み手をやり始めた。お互いに恐れながらの初めての格闘だ。俺の目に怯えがはしっていただろうが、相手の目に浮かんでいることも確かに感じた。同輩の一人は合宿最後の組手稽古の時に鼻の骨を折られた。寸止め空手と言ったってよく当たる。もう一人は脛の細い方の骨を骨折した。俺が組手稽古をやり始めて思っていたことは、やらねばやられるということ。たとえ苦楽を共にした仲間といえども闘いの場にいる限りは。同輩たちも同じであったろう。およそケンカなぞしたことがなさそうな仲間達であった。俺は実は高校時代に1回だけある。当時の空手道部に入るのは腕っぷしが強い者ではない。強くなりたいと願う者が入った。
2回生から3回生の頃、同輩達と多い時には1週間に2回、練習後に寿司屋に通い飲んで語り合う習慣ができた。なんのことはない、その寿司屋の看板娘が大変チャーミングであると皆、思っていたからだ。寿司といっても注文するのは、イカ・タコ・マグロの当時の100円メニューばかり。看板娘が運んできてくれるのを一人一人心密かに待ちながらも、我々は空手談議に熱中もしていた。その看板娘は大学の、ある先輩と結婚したと後日人のうわさに聞いた。
4回生の春の個人選手権は最も重視していた大会だった。1,2週間前から寝る前に目をつむったままで闘いのイメージトレーニングを行っていた。寝ながら仮想のパンチを受けて体がビクっと動いたこともある。俺は非常に朝が弱いのであるが、試合当日は目覚ましの鳴る前に目が覚めた。不思議にもまったくすっきりぱっちりと。試合場に着いて集合までの間に近くの喫茶店でモーニングサービスを食べていたのを思い出す。やけに落ち着いてと言うか一種朦朧としてと言った方がよいかもしれない。心は朝飯と試合の半々の上に浮かんでいたのである。試合は、幸い勝ち進みベスト4まで行った。ベスト8を勝ち上がって思わずよくやったと天井を見上げてしまった。だからそこまでだ。チャンピオンになるにはチャンピオンのみを目指さなければならない。
感受性の豊かな若い時代。空手をやっているうちに大学が終わった。勉強はしないので単位をよく落とした。卒業しても3,4年は卒業できない悪夢を見ていた。
空手の方は卒業しても通算10年くらい続けた。今は一休みで、一ジョガーとして走るのみだ。空手が俺の人格に大きく影響したのは確かである。どういう意味を持ったのか、これからまたどう作用するのか、定年後にでもゆっくりと考えて、また始めることかな。
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