走り・・・関係ないが幸せの場面
今日は10キロ走った。平均ペースは5分49秒。昨日少し気合を入れて走り、疲れも残っていたのでまぁ軽く流す事とした。走りのシーズンは冬というがそれは玄人であって、俺のような素人には5月の早朝、寒くもなく暑くもなく清々しい気候が最も走るのに気持ちがよい。せっかくのよい天気であるから周りを見て自然の美しさを鑑賞すれば良いのではあるが、やはり走っているとしんどいからそうもいかない。足腰の疲労、息の上がり方、後何キロ、そればかり考えてしまう。ゆっくり走ると気持ちがいい。でも少し速く走ろうと思うと途端に苦しくなる。人生みたいなものか。…おっと大きく出たねぇ。物事を少しでも大きく、少しでも素早くやろうとすると自らにプレッシャーをかけ頑張ることになる。ケセラセラと能天気に暮らすのならば…苦しくはない。
昔、子供が小学6年生、まだ可愛く俺にまとわりついてきた。家も新築が成り、女房の母親も元気であった。田舎の母親もまだ若々しかった。庭の芝生の上に寝転がりながら、今が一番幸せではないかと思ったことがある。親父よ許せ。あなたはもういなかった。
幸せに思える時は何度もあったのだろう。
「雪の降る街」を口ずさみながら歩く親父の暗い色のコートの背中を見ながら幼い俺は後をついて歩いていた。白いボタン雪が降っていた。周りの風景もあったのだろうが、その記憶は親父と俺、そして雪、それだけだ。何十年経った今でもその情景を思い出す。今思えば至福の時だ。
息子が2、3歳の時だろうか。妻と3人、丘を歩いた。細い小道で周りを一面に見渡せた。息子が先頭。ある時疲れたのであろう、小道の脇に座り込み、パパこっちに座ってと自分の横をたたきながら可愛らしい声で言った。俺は横に座り息子の小さな肩を抱きしめた。息子は思春期を経て親父に反抗もしたが、人並みに巣立っている。親父の方がものすごく可愛くて溺愛した時分を忘れられない。
歳をとると幸せだった場面を思い出してしまうなぁ。
大きな幸せ、小さな幸せ、濃いも薄いもある。俺はまだまだ生きる。これからはせめて日常の仄かな出来事に感じ入ることにしよう。
昔、子供が小学6年生、まだ可愛く俺にまとわりついてきた。家も新築が成り、女房の母親も元気であった。田舎の母親もまだ若々しかった。庭の芝生の上に寝転がりながら、今が一番幸せではないかと思ったことがある。親父よ許せ。あなたはもういなかった。
幸せに思える時は何度もあったのだろう。
「雪の降る街」を口ずさみながら歩く親父の暗い色のコートの背中を見ながら幼い俺は後をついて歩いていた。白いボタン雪が降っていた。周りの風景もあったのだろうが、その記憶は親父と俺、そして雪、それだけだ。何十年経った今でもその情景を思い出す。今思えば至福の時だ。
息子が2、3歳の時だろうか。妻と3人、丘を歩いた。細い小道で周りを一面に見渡せた。息子が先頭。ある時疲れたのであろう、小道の脇に座り込み、パパこっちに座ってと自分の横をたたきながら可愛らしい声で言った。俺は横に座り息子の小さな肩を抱きしめた。息子は思春期を経て親父に反抗もしたが、人並みに巣立っている。親父の方がものすごく可愛くて溺愛した時分を忘れられない。
歳をとると幸せだった場面を思い出してしまうなぁ。
大きな幸せ、小さな幸せ、濃いも薄いもある。俺はまだまだ生きる。これからはせめて日常の仄かな出来事に感じ入ることにしよう。
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