人工知能与太話

 走り始めて2年が経つ。ランニング記録をつけようかと思い書き始めたが、それ以外に色々書き留めておきたい事があるらしく、本日ブログタイトルを変えた。




 人工知能は2040年に人智を超えるらしい。そのときまで生きてはいよう。人工知能が人智を超えると人間社会は変わりすぎるほど変わる。せっせと勉強するのがバカらしくなるだろうなぁ。おっと最初にそこか、であるが、そういうもんだ。全て人工知能に尋ねれば用が足りるのである。人工知能がローマ時代の奴隷のように働き、市民としての我々は、その生産するものを搾取してのうのうと生きればよろしい。と、なるのは民主主義国かつ聡明な市民が多い?ともかくなんでも批判する事でよしの勢力がいる日本くらいかもしれない。
 一部の権力者、富豪など力あるものが人工知能を独占すれば、そうだなぁ、まず俺ならば株式売買をして巨万の富を築くだろうな。次に他の人工知能所有者と何らか協定を結ばないと危なくて仕方が無いだろうな。人工知能が民主的に使われるならば、富自体が意味を成さないかもしれない。つまり彼らが生産して彼らがくれるのである、万民に。「能力に応じて生産し、必要に応じて取る」のマルクス主義の理想なるものが、思いがけず実現してしまうの?
 これが独裁者に使われた日にゃたまったものではないよな。現代の共産主義国家では支配層が磐石になるだけだろう。


 人工知能にはまだいくつものハードルがあるだろうが、結構現実味を帯びてきたと聞く。IBMのワトソンはクイズ王に勝ったし、将棋ソフトはプロ棋士といい勝負をしている。自動運転もいずれ実現される。領域と目的を定めて制限した中の人工知能の成立は、時間の問題であろう。あとは一般常識とか言えるもの、人間が成人に至るほどの時間をかけて蓄積するものをどのように学ぶかであろう。

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